消えた鉄路を行く明治という近代の幕開けとともに誕生した近代社会の発達は、明治国家と言う新しい時代の中で明治の人々は世界から新しい文化を享受し生活様式を変えていった。その中でも鉄道の発達は目覚ましく、人とモノの流れを変えると同時に近代国家の樹立に大きく寄与した。 この一時代に光り輝いた鉄路にいろいろな思い出を持った人々は全国では数え切れないほどの人数であり、過ぎ去った過去への郷愁とその足跡を訪ねた紀行である。
光明電気鉄道昭和5年から11年に磐田市中泉から天竜市二俣を走った光明電気鉄道は時代の先端をいった電気最新型電車 大正中頃より長野村前野出身の田中寿三郎が中心となり沿線開発を図り鉄道建設の運動を起こした。大正10年(1921)10月光明電気鉄道株式会社の創立趣意書が光明村村長から二俣町、中泉町、見附町、野部、広瀬、岩田、富岡、井通の三町五村連名で静岡県知事に陳情された。 大正12年より測量が開始され、中泉町を起点に光明村船明に至る22.5キロの鉄道で、国鉄規格の電化線区とする経営構想を進めた。路線は秋葉街道(天竜道)に沿い東海道本線の中泉駅から見附西坂で東海道を交差し原道を西北に進み広野から気賀坂を下り匂う坂上より寺谷、掛下、平松、神増、上神増、合代島、下野部、上野部、田ヶ谷、本村、栗下、神田山、阿蔵を経て二俣に至り、更に二俣よりは山東、大谷を経て船明に通じるもので(これより相津を抜けて佐久、上島より千草の渡船場に達する道筋にあり)こうした経路は先の軽便鉄道も考えていたようである。そして実際に運行されたのは天竜川東岸の二俣町-中泉間で19.8キロだった。 大正十四年(1925)6月21日会社設立。本社を見附に置き、社長の大箸五郎作は広瀬村出身で天竜川銀行頭取で天竜川製紙社長。専務理事の田中は政友会の政界経験者で会社の設立に奔走した。設立に際しての資本金百五十万円を予定し、一株50円で三万株発行。沿線住民に頼み2211人の応募があった。当初の払込額では予定額に達しなかったが、それでも118万5900百円の出資を得た。応募者は一株株主が圧倒的に多くそれだけ住民の期待が大きかったかが解る。 翌15年4月14日中泉の府八幡宮で起工式を挙行し、鉄道敷設の工事を始めた。第一期工事は新中泉-田川間15キロで昭和3年11月20日から開通営業を始めた。第二期工事は田川-神田公園前間2キロで昭和4年8月28日に開通。第三期工事は神田公園前-二俣間の2.8キロが昭和5年12月に開通し新中泉-二俣間が運行された。 線路の軌間は三尺六寸(1037ミリ)で単線、電車は国電並の最新型のパンタグラフ式の最新型の電車で開業、時速5-60キロで、全線19.8キロを50分程で運行した。 昭和6年5月には中泉駅で東海道本線と貨物の連帯輸送が開始され、6月から二俣町駅で天竜木材の取扱を始めた。木材1トンにつき5円60銭で天竜駅半場の荷揚げ場までの船賃より定額だったといい光明鉄道の天竜木材の移出は昭和8年中に8865トン、9年6月までには1132トンと貨物輸送が増え続けたので船明までの延長工事が期待されていた。 盛時には鹿島の花火大会に納涼電車を運行したり、沿線住民の足として親しまれた電車だったが、資金不足と世界恐慌に阻まれ、特に遠州秋葉自動車のバスとの競合で業績が上がらず、資金繰りにも苦慮し、経営陣も昭和7年までに重役が43人も交替するという事態が続いた。この様な中で計画された路線の第四期工事二俣-山東間、第五期工事の山東-船明間の工事が進められたが、一部は完成を見たが、赤字経営から債権者第139銀行に差し押さえられ、昭和8年1月に破産宣告を受けた。直ちに抗告し異議を申し立て取り消されたが、翌年和議不成立となり、一時は高取順作の個人財産となり運行された。その後11年1月に電気料滞納から送電の停止を受け、同月20日遂に全線の運転を停止し廃線となった。14年(1939)4月23日に株主総会で会社を解散し、越後銀行、糸魚川商会より(15万円の)借入金等から同社の資産は債権者第139銀行により競売に付され、光明電鉄は歴史の中へと埋もれていった。 国電型電車を投入し、遠州と信州を結ぶ中部縦断鉄道という遠大な目標で計画され、天竜川東岸を通り飯田線に接続連絡し、更に長野、新潟へ延ばして日本縦断鉄道の構想を描いていたという。夢のような鉄道も既設、計画の路線を接続し乗り継げば不可能ではなかったかもしれない。 |
|
![]() |
|
鉱石を運んでいた帆船(天竜鹿島付近) |
|
![]() |
![]() |
当時の時刻表 |
当時の株券 |
![]() |
|
現在二俣町の栄林寺横にトンネル跡が残っている。 |
|
![]() |
|
天竜二俣駅近くにある光明電鉄のプラットフォーム。 |
|
トリップ商店
トリップオリジナル商品通信販売。
トリップでは毎回各市町村を詳しくご紹介したいと考えています。
私の町を紹介してほしいとか、こんな記事を載せてほしいとか
どんなことでもかまいませんからおたより下さい。